水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

「科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶」

正式タイトル:

科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』
綺伝 いくさ世の徒花
改変 いくさ世の徒花の記憶

 

8月9日
12:00
日本青年館ホール

 

【まえがき】
 刀ステは関心ありつつも触れていなかったところに、昨年友人に「次の公演にキャラメルボックスの岡田達也さんが出るよ」と釣られて予習という名の『虚伝(初演)』『義伝』ブルーレイ鑑賞会を開いてもらい、今年1月に『維伝』ライビュ鑑賞。その後、5月のDMMの刀ステ一挙無料配信で残りの作品もひととおり鑑賞。という新参者の記録。
 もともと(一度は生で観てみたいな…)と思っていたところにCOVID-19が蔓延する環境となり、こういうときに上演される公演だからこそどうなるのか生で立ち会ってみたい、とダメ元で抽選応募したところ奇跡的に当選した貴重な一回でした。

 

【開演まで】
 事前に公式サイトでも案内されていたとおり、感染予防策を徹底した上での上演。早めの開場にはじまって、手指消毒、足拭きマット、検温、セルフもぎりでの入場、開けられる箇所は開け放たれてそこかしこに扇風機が置かれたロビー、千鳥格子に配置されてこちらも常時換気されているらしく微風の吹く客席。現地物販はなしで通販のみ。スタッフの方も必ず目の届くところにいらして、人同士の間隔を空けるようになどこまめな案内。
 先日の新国立劇場でも思ったけれど、開演前のこの状況だけとってもカンパニー側にこれまでの公演とは段違いのコストがかかっていることをまざまざと感じ。これで客席半分で上演というのは本当に厳しい状況だろうと重い心持ちにも。
 席に着くと、ぱっと目に入る範囲でも空席がちらほら。すさまじいチケット倍率を風の噂にも聞いているあの刀ステ、しかも日曜の前楽での空席。観客側にもまたままならない現状がのしかかっていることを実感しつつ、初めて生で観る刀ステが開演。


【感想】
 *細部うろ覚えなので間違い多々の可能性

 放棄された世界・慶長熊本への特命調査に赴いたとある本丸で、同じ特命調査を経験した別の本丸の記録を読むという構成。
 これまでのシリーズで語られてきた刀剣男士たちと時間遡行軍との戦いのしくみ(それぞれの本丸から同じ時間軸に繰り返し出撃して勝利をつかむ)をベースにして、

・この本丸が経験した特命調査=本来上演されるはずだった「綺伝 いくさ世の徒花」
・記録にある本丸が経験した特命調査=今回上演されている「改変 いくさ世の徒花の記憶」

 と一種のパラレルワールドが立ち上げられ、「あったはずの物語」を意識させつつも今回のための新たな物語を語るつくり。とはいえ「やむなく制作されることとなった不十分な”代わり”」的な印象はもちろんなく、配信やブルーレイ・DVDで見る人も含めた膨大な数の観客を背負い、これから見ることになる無数の観客も見据えて、舞台「刀剣乱舞」シリーズの一作としていま一番面白いものを出そうという気概をはしばしに感じる力強い一作でした。

 

 人の動線や舞台装置など、おそらく非常に多くの厳しい制約を課した上で再構成されたと思われる脚本・演出。全員がフェイスガードをつけた上で、人物同士が向かい合う図は最小限にし、出ハケや立ち位置も互いに接近しないよう調整され、一度に大人数が出るシーンは極力少なく。

 

 そうした中、今回の「改変」を成立させるため投入されていた大きな要素のひとつ「講談師」。
 実際にプロとして活動する神田山緑をゲストに、この「講談師」を舞台上に常駐させることで人物たちの動向をナレーター兼実況中継のようなかたちで解説する手法。表現的な縛りの多い今回での一種のサポートとしての機能がもたされていつつ、これがサポートの枠に収まらず、今作を特色づけエキサイティングに魅せる演出として積極的に機能していてとてもよく。
 講談なのがおそらくキモで、発声・口調ともに舞台上のほかのキャラクターとは明らかに異質なことでかえって新要素として馴染んでいた感。「歴史上の出来事を”物語”として臨場感をもってドラマチックに”語る”」ことに特化した伝統芸能の強靭さでもって、ひとつの大きな要素として立っていた。
 特に、刀ステの大きな魅力になっている激しい立ち回り。実は刀ステで一番好きなのがこの立ち回りだったので今回は観られないなと寂しさと諦めがあったのですが、もちろん従来の至近距離でやりとりする殺陣はなかったものの、映像の時間遡行軍を背景にそれぞれ正面や横を向いた男士たちが宙に向かって激しく刀を振り、そこに講談調の激しい語りが入る見せ方・聴かせ方はこれまでと別種の迫力があり。「誰だ、誰だ、誰だァァァァァ!山姥ァ切長義だァァァァァ!!!!」などなど、見せ場が語りで盛り上がるというよりむしろ「語りによってそこが見せ場になる」力、テンションブチ上げっぷりたるや……忠興とガラシャの邂逅のくだりなどもよかった。
 そして講談師、まさかの刀装。くださいその刀装。笑いのとれる設定でありつつ、ずっと舞台上にいることの理由づけと、なによりこれもまた”モノ”が”語る”「モノガタリ」であるという構図を維持しているのがうまい…。

 講談以外のところだと、山姥切長義と亀甲貞宗がドン・フランシスコ(大友宗麟)たちと会談するシーンでの椅子を使った演出も印象的でした。椅子の配置と人物の配置がくるくると入れ替わるさまが腹の探り合いの緊張感と重なっていて。また、立ち回りも大詰めの数カ所だけは人物同士が直接対決する形式に戻りつつ、そこでの相手の武器が薙刀などのリーチの取れるものだったのもなるほど感。(それでも通常の刀ステの殺陣以上に距離を取ってはいましたが)

 と、演出面のよかったところを挙げつつ、内容のほうは正直をいえば序盤は引き込まれたものの、個々のキャラクターに思い入れがない身には、ガラシャと忠興の関係性以外のところは劇中で表現されるものだけではドラマチックに感ずるところ少なく。脚本書き換えの関係かキリシタン大名ひとりひとりの描写があっさりめだったのも関係したかもしれず。また刀ステシリーズで好きなのが『ジョ伝』と『維伝』なので、一本の作品として構成が凝ったものや、情緒以外のところでも話が動いていくものが好みなのかもしれず。
 末満健一の脚本は舞台「刀剣乱舞」シリーズで触れているのみなのですが、世界観を作り込んでシリーズ全体に大きな伏線を仕込む一方で、話運び自体はひとびとの個々としての(その時々の)行動方針が見えにくいというか、能動よりアクシデントによる展開が中心で「話を進めるために進める」感が強い印象なのだけれど、今回はそれが顕著に出ていた感。また、心情表現が流れというより一点集中型、言葉の端々に匂わせるというよりは直接的に説明させるほうが多いので、こちらも事前の思い入れがキーになるような。

 

 そうしたこともあり、全体通して一番心が動いたのはラストだった。
 別の本丸が経験したドラマを読み進める本丸はときおり、「自分たちのときはこうではなかった」と反応を返す。しかしその細部は語られず、最終盤にこの本丸の歌仙兼定は主から、彼ら自身の慶長熊本の物語をもう一度聞きたいと請われる。歌仙はこの場では語らず、「またの機会に」と返す。
 舞台演劇に限らず、ライヴイベントはすべて未来との約束だ。いまだ存在しないパフォーマンス、いまだ存在しない時空間が未来のその日その時その場所にきっと実現している、そして自分はきっとそこにいられると信じて、観客は予定を空け、チケットを買う。
 その約束の儚さは、この半年間でどれだけ証明されたことだろう。ありとあらゆる公演が中止となり、いま少しずつ再開され始めたそれらもほとんどは客席数を/公演会場を大幅に減らした上でいつまた公演中止になるとも知れず、観客はあるいは日程や場所が変わり倍率が上がったチケットを取ることが困難となり、あるいは自分自身やまわりの状況によって生の観劇自体を諦めることを余儀なくされる。
 それでも歌仙兼定は、必ず、と告げる。”主”のいる方向、舞台から客席へ真正面を向いて力強く微笑む。

 個々に独立しつつも、全体でひとつの大きな物語を描こうとしている舞台『刀剣乱舞』シリーズ。それに連なる一本でありつつ、同時に「ここにあるはずだった物語」が「いつか必ず語られる物語」として約束される、次への架け橋。数えるほどの公演をぽつりぽつりと打っているいまの舞台芸術の世界にともった小さな灯は、いまは途方もないとすら思える希望を語ってみせていた。

 

 この感想を打っている最中、公演は大千秋楽を迎え、次回公演が発表された。文字通り明日をも知れぬ状況下での「次」の約束。この約束が、どれだけの人の心に灯をともしたかを思う。

 


 最後に、本文に混ぜられなかった個々(歴史人物)のことを少しだけ。全然まじめじゃないわりに最大級のネタバレ。

 

ガラシャ
ガラシャ第二形態で腹筋に致死ダメージを受け5分間ほどセリフがまったく頭に入りませんでした
・慶長熊本に宝塚大劇場が来た
・トート(出展:エリザベート
・ものすごくかっこいいのですがものすごく面白い
・なぜそんなにもダイレクトなタカラヅカデザインにしたのか
・おかげでその後出てきたキリシタン大名たちの第二形態も宝塚にしか見えず
・よくネット上で脚の長いひとに対して言われる「股下が2メートルあった」などの表現を実感を持って理解する
・そのうえ薙刀までぶん回す
・このガラシャが負けるのはおかしい
・でも負けなければならないし、その相手は細川忠興のあまりに荒々しい逸話を身に宿した歌仙兼定でなければならなかったのだ……

 

黒田孝高
 時間遡行軍による改変と刀剣男士たちによるその修正が、ひとつひとつの史実に対して果てしなく繰り返され、歴史が「濁っていく」。ひとつの線を幾度もなぞるように、歴史は繰り返され、記憶は混ざり合い、自我は揺れる。その中で他世界の己を、その調略を”識った”黒田孝高
 黒田のさまざまな発言、そして今回の物語を読んでいた本丸の刀たちの反応からするに「綺伝」どう考えても黒田案件(造語:黒田の軍師によって男士たちがとてつもない苦労をさせられる羽目になる任務の意)じゃないですか……人の身でありながら男士たちの強大な敵として立ちはだかるポテンシャルを持ったジョ伝の黒田如水が大好きなので綺伝全力待機するしかなくなってしまった……あと全然関係ないですが佇まいが前半も後半も美しくて大変よかったです……。