水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

NT Live「リア王」

(鑑賞合間のツイート)

・ナショナル・シアター・ライヴ『リア王』休憩中。前半約2時間、こんなに丁寧にやって、しかもこんなに息もつかせないというのはどういうことだろう。ひとりひとりが、鮮明にみえてくる。感嘆。

・メガネオンオフ男・エドマンドと羽根つき帽子な道化と品のよいグロスターが好きです(台無しな感想)

・RSCライヴや他のNTライヴもそうだったけれど、幕間に、NTの幕間の客席がそのまま映し出されているのが不思議な感覚。あちらの客席とこちらの客席、もう生中継ではないから時間は隔絶されているはずなのに、繋がっているような錯覚に陥る。

 

(鑑賞後)

・・NT Live『リア王』本編約3時間半の長尺。決して短く感じたわけではない。しかしその時間が必要だったと、その時間をかけたからこそ味わえたと思える。痛々しく流転する運命。何よりまず、登場人物一人一人の造形が驚くほどクリアで、それゆえにどのシーンで誰が出ていようとも時間が弛まない。

・人物造形のクリアさでいえば真っ先に触れるべきゴネリルとリーガン。意地の悪い姉二人「ゴネリルとリーガン」でなく、長女ゴネリル、次女リーガンという独立した人間として初めてはっきり認識できた気がする。鬱屈し、判断力に優れたゴネリル。したたかさと激しさのリーガン。

・末娘コーディリアも決して聖女のようでなく、優しさとともに、悲劇のはじまりとなったその頑なさもストレートに。ゴネリル、リーガン、コーディリア、それぞれがあの恐らくはかつて武勇をふるい暴君でもあっただろうリアの血を引く娘たちだと、ストンと胸に落ちてきた。

・サイモン・ラッセル・ビール。何もかもを思い通りにしてきた自負に忍び寄る老い。老いと共に迫る変調。リアの症状をレビー小体型認知症とした論文を手がかりに形作られたサイモンのリアは、それをリアの言葉と体の中に丁寧に埋め込みつつ、古典の王としての大きさを失わず。

・コーディリア追放を言い渡し退場するときの、怒りの中に突然湧き上がる絶望的な表情。不確かな認識の中とりとめもなく世の真理を話し続けるときの透明な目、声。震える手。なんだか、サイモンを見ているだけで泣きそうになってしまう瞬間が何度もあった。なんて人なんだろう。

・道化、正しく王の相方、欠かすことのできない王の辛辣なご意見番。しばしば道化と王が交わす真面目なまなざしがたまらなかった。そこからの衝撃。いい言われてみればあのシーンを境に道化ってうわああ。何気ないくらいに観せてくるのがまたかなしさを呼んで、強烈だった。

・ところでエドガーのトム・ブルック、この一度見たら忘れられない顔は絶対に一度以上見たことがあるぞと思ったらSHERLOCKのS3やThe Hollow Crownに出ていた。エドガー、最初頼りないようでいて、どんどん別の一面を見せてくる作り方が良いバランス。

・これ明日までってそんな…そんな殺生な…。再上映もDVD化も鬼のように希望していきたい所存です。受け止めるのにも大いに消耗する、しかしこの消耗にとてつもない充実を覚えるほかないリアでした。

 

・パンフレットも購入。これまでのものだけでなくこの先の上映の記事もひととおりあって、読んでから見るか見てから読むか。ギフトカード(カンバーバッチ柄)もようやく使う機会を得た。NT Liveに使うと上映一回分+軽食で使い切れるちょうどいい感じでした。

・幕間に打った「メガネオンオフ男」というエドマンドの形容がひどすぎて申し訳ないやら自分で打ったのに笑えるやら。眼鏡かけたり外したりかけたり外したりしながら悪巧みするのが愉快で…。シェイクスピアの悪役は「よーし悪いことするぞー」的な発言をしながら悪いことするので好き。

・人様の感想を読んでいて思い出したこと。そう、リアの頬を打ってしまうゴネリルが素晴らしかったんだった。ずっと腕を組んだまま、じっと耐えて自らを守る姿勢をしたままの彼女が、父からの聞くに耐えぬ罵詈雑言にそれでも耐えて耐えて、しかしついに反射的に手が出てしまう。

・ほどかれた腕。父を打った手はそのまま、驚愕と恐怖と悲しさをもって、やりどころもなく宙に浮く。たぶん生まれて初めて、彼女は父に手を上げてしまった。もしかしたら、リーガンやコーディリアのように父と「触れ合う」ことすらあまりなかったのかもしれない彼女が。

・余韻に浸りたくてトレイラーを探し、「本編とカメラワーク全然違う!」とびっくり。これはあくまで予告用で、本編は別に入念な検討があったのかな。中継にありがちなストレスがないどころか、カメラが行う僅かな「芝居」が心憎いほど効果的な、しみじみ響く映像でありました。