水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

DULL-COLORED POP「アンチフィクション」

2020.7.26

13:00

「観劇三昧」のシステムを使ったライブストリーミング(期間限定アーカイヴあり)

 

・DULL-COLORED POP『アンチフィクション』ライブ配信で。
いま、物語[フィクション]を語れるのか。劇作家・谷賢一が懊悩する劇作家の台詞を書き、自らの身体を与えて、谷賢一が演じる劇作家は「すべて本当の話です」と述べる。そこにいたのは誰だろう。70分間(換気含む)観客が見ていた人は誰だろう。

・谷さんが俳優ではない(俳優の肩書きで活動してはいない)ことが、奇妙な感覚を強めていた。私事のような何かが、ただしかなりの部分は台本付きで、わりとエンゲキっぽい声と身振りとで行われている。俳優裏方観客社会、どれかひとつにでも何かあれば即中止の環境で14ステージ繰り返されている。

・COVID-19と隣り合わせの世界で困惑と苦悩を抱えつつ生活し演劇をする/観る行為はリアル、劇作家の懊悩もリアル、何より7月26日13時からの70分間はリアル。山積みのリアルに覆われつつ、舞台に乗っていたそれを私は「物語」とみなす。画面越しに見た、がたついた「物語」として、今日の思い出に残す。

・「だから」の話、普段ぼんやり感じていたことを言語化してもらえたようで印象に残った。人はカオスに耐えられない。因果を求めて安堵し、ときにそれこそ”理屈にかなったリアル”だと信じようとする。いわゆる陰謀論だってこの「だから」の極北で。「だから」を手放す勇気、「だから」を抱きしめる思い。

 

・これを言ってしまうとなんだな…という感じではあるのだけど、公演本体よりむしろ、その外側で同時進行で発信されていた「この環境下で舞台公演を行う困難(社会的に、芸術的に、経済的にetc)」についての話に、観客としても問われたところ多く。リアルは厳然と立ちはだかる。

タブレットの前で座ったり転がったりしつつの鑑賞だったんだけれど、三本締めは一緒にやりました。こういうこと、ありますよな。届くはずもないのに、なんでしょうな、これ。こういう不条理な行いも「だから」の変奏なのかもしれない。祈りにも似ている。