水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

KAAT「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」

2020.6.27

16:00

KAATチャンネルでのYoutube配信(映像自体は録画)

 

・「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」見ていた。
道路がみえる大きな窓、その脇に置かれた机、その上に置かれる長方形の板、に投影される人。それらの空間ごと切り取った動かないカメラ。ぼんやり光る長方形の中の演者たち、外を通る人、車の音、上方からぶら下がったゆらゆら揺れる飾り、暮れる日。

・遠くから見る野外劇、に近いような感覚。劇場にいつつ、舞台を見聞きしつつ、その周りの環境も知覚しつつ。
暑くてエアコンを入れた部屋で、薄い毛布にくるまって、TVにYouTubeを映して、自分はこれを見ていた。リアルタイムの上演ではなかったはずだけれど、そうであるような幻想か錯覚を抱いた。

・夢幻能の形式。『挫波』『敦賀』叶うことなく閉ざされていったふたつのものについて。タイトルにくっついた(途中)という率直な表現に、おかしみと、本来この作品が対面するはずだった「オリンピック直前の2020年の日本」という環境がもうないことと、作品内容それ自体との呼応を思った。

 

・アフタートークでの岡田利規、演劇でよく言われる「日常を忘れる」に関して「どっちもあるのが好きなんですよ」という旨を言っていて、頭の追いつかないなりに共感を覚えて心に残る。忘れるのも、周りにそのままあるのも。建物内に人が集合・一方向に集中することを至高とするのとは異なる発想。

・これまで少し見た、zoom画面を見る演劇とはまた全く異なった体験だったな。この環境下でのさまざまな演劇人の試行錯誤のクリエイションの様子について、飛行機が発明される前の人々のあまたの失敗の様子を引いて「ああいうの好きなんですよね」と話す岡田さんがよかった。完成形の上演が楽しみ。

 

・録画映像を組み合わせるのではなく、全員でそれぞれの場所から同時にパフォーマンスしていたことを知ってから思い返すと、アイ・片桐はいりの言葉(というか「音」)と音楽とが高まって絡みつくあのパート、すさまじや。あのときは周りの空間が消えて劇場に引きずり込まれた。