水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

英国ロイヤル・バレエ団「The Metamorphosis」(2013)

Youtubeでの期間限定配信

 

・英国ロイヤル・バレエ団『変身』ダンスわかるかな…と思いつつ気付けば一気に。白、黒、と僅かな色彩。世界から切り離されるほどに汚れていく部屋。
3人家族、と決めてしまったかのようなテーブルを囲む動きと、彼が実際のところ「何」だったか分からなくなるようなグレゴールの最後の姿に抉られた。

・こんなん見てしまってすぐ寝るとか無理ですわ…お茶を飲みます…。ダンス全然慣れてないんだけれど思い切って見てみて良かった。

・なんだか、ずっと悲しかったな。冒頭、まだ何も起きていないザムザ一家の昨日とほとんど変わらない今日が三度繰り返されるシークエンスからずっと。

・本筋とまったく関係ないんですが、こうしたダンス公演でスーツに眼鏡のような「平凡な」格好の人がスッ…とダンサーでない人間には不可能な動きをしはじめると(擬態が解けた…!)的な動揺がある。自分がダンスそのものを本当に見慣れてないせいだと思う。

・人体に対する「畏れ」的なものが呼び覚まされるというか。ふだん人体だと思ってるものは極めて限定されたバージョンで本来の可動域と稼働パターンこれだぞ、と急に突きつけられた心持ちになるというか。

 

「CATS」(1998)

YoutubeAndrew Lloyd Webberチャンネルにて48時間限定配信

 

1998年 Adelphi Theatre London

観客を入れず映像用に収録されたバージョン。

 

・CATS配信、見るというか流す形になっちゃいそうだけど視聴開始。

・映画のビジュアルのインパクトに脳を塗り潰されていたので(そうだ元はこっちだった…)と認識を修正している。

 ・ラム・タム・タガーが尋常でなくホットでもはやなんか笑うレベル。大変である。すさまじい悩殺(この言葉いまも使うのか?)ムーブを繰り広げている。

・視聴完了!サー・ジョン・ミルズのガス、出てきただけでもう涙腺にきてしまう感じであった…小刻みに震える、ぼうっとした猫…。直後に明るいスキンブルシャンクスのナンバーが来る流れがやはり好き。ミストフェリーズの大回転を楽しみにしていたらこのバージョンではなかったのが残念。

・ラストのナンバー、これまでは神秘性を感じていたけどこの版だと祝祭感が強く。
ときにオールドデュトロノミーのケン・ペイジ、どうも聞いたことがあると思ったら『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のブギー親分じゃないですか!

「若おかみは小学生!」

 ・映画『若おかみは小学生!』TV視聴。
幻想と現実が溶け合った日々の中「死」と向き合う表現に涙腺がちょっとやられる。おっこが女将として立派な行いをするたび(ウッそうはいっても子供である…子供を何よりまず子供として扱ってあげておくれ…)となっていたら水領さんがその辺を全部担う構造だった。

 ・そしてあのデフォルメきいたキャラクタービジュアルの中にありながら異様なほどのリアリティを放つ眼鏡の屈折表現。噂には聞いていたもののすごかった…。

 ・子供のための作品として、子供が(ファンタジックなほどに)自分の力で大業を成すさまを描くことで勇気や自己肯定感を育むことと、しかしその描写が子供を「保護されるべき存在」から外していってしまうこととの裏表を考えてしまったりした。

 ・子供が、社会的な意味での「子供」であることからほぼ解放されたコミュニティで大人顔負けの活躍をするなら素直に見られるんだけど(ひょっこりひょうたん島とかフィニアスとファーブとか)おっこは思いきり大人社会の中で活動しているのでその辺が引っかかってしまった感。己の固定観念だろうか…。例で思い浮かんだ2作品が例として適切かどうかさっぱり分からぬ!

 

劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」(2019)

Youtube 期間限定配信

 

・劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』配信視聴。配信は本日まで。
2、30分を過ぎたあたりから、記録映像ゆえの音声の聞きづらさ等を乗り越え、引き込まれて目を離せなくなった。明治天皇昭和天皇という巨大な存在の狭間、短く生きた大正天皇の足跡。記録がもたらす印象。
「大隈。天皇とはなんだ」

 ・一脚の玉座、紅の絨毯、わずかな登場人物のみの小さな空間で、時代を大きく行きつ戻りつ織り成される会話劇。

 ・病の重くなる中、もはや歌詞の続きもおぼつかない軍艦行進曲を口ずさみながら歩く訓練をする場面。巨大な役割を果たすための心を、身体を与えられなかったひとりの息子が、勤めを果たそうと足掻いた姿。見ていたのは侍従武官ただひとり。フィクションの想像力とは、こういうことを言うのだろうと思う。

「『12人の優しい日本人』を読む会 〜よう久しぶり!オンラインで繋がろうぜ〜」

2020.5.6

14:00

 

zoom上でのリーディングをYoutubeライブストリーミングする形式。

実況度高めのログ。

 

【前説】

・近藤さん「(リハーサルで)zoomに全員入るだけで1時間かかってます」

・どんなにグダグダになっても最後までやりとげる、Show Must Go Onですよな…。

 

【本編(前編)】

・はーー、演じ手の巧みさでがっちりと担保される会話劇としての強度。
・全員の顔が常に映る、(精度低めで)話者のフレームが点灯するというzoom配信の特性が作品とフィットしたりズレたりする様子にまた未知の緊張感もありました。

陪審員2号が役柄としてすごく好きで。それを、映画版でしか見たことのなかったオリジナルキャストの相島さんで、生配信で見られる嬉しさが。

 ・陪審員12号がときおりzoom画面前提の動きをしていて、演出なのか・戯曲を「読む」という前提とのぶつかり合い方として有効なのかという問いをはらみつつ、メタのような不思議な感触があっておもしろくて。

・「あなた」の呼びかけ先がこのzoom形式だと咄嗟に分かりづらいので今更気づいたけど、本作お互いの会話で「あなた」「きみ」以外の呼称が使われないんだな。本名はほぼ不明だし、番号で呼びかけたりもしないし。

 ・演出か偶然かは分からないのですが、12人の中で異分子となる陪審員2号が、12分割された画面の隅・右下端にいるところに勝手にグッときていました。

・作品が意図通りの形で「完全」に上演されることに強いこだわりのある三谷さんが、今回のどうしても実験的・不完全でなんなら演劇の定義とも異なるオンラインリーディングに許可を出したこと、とても特別かつ大きな出来事なのだろうなと思う。

 

【本編(後編)】

・丁寧に前編のあらすじ付き。

・接続し直しているためかさっきまでと配置が変わってる。なんとなーく後半開始時点での評決でまとまった配置になっていてちょっと面白い。

・「木の実ナナだよ」の瞬間、全画面に動揺が走った気がするんですが気のせいでしょうか。

・議論をする力が弱い、と思われた4号が、ここでなんだか分からないけど違う気がする、話し合いたい、と立ち続けるのが本当にいい。明快な論理を立てられずとも、人を説得する力がなくとも、誰しも意見があり、述べることはできる。

・そして4号や10号の慣れないゆえにうまく言葉にならない言葉を丁寧にすくいとり、自分の力で形にさせようと動く11号。

 

 ・ひとりひとり画面が消え、終わり、カーテンコールでまたひとりひとりが現れ、の流れに涙が出そうになりました。作品の形式と今回の上演の形式が美しく調和した瞬間だったと思います。

・実現に向けて動いた全ての方々に心からの感謝と拍手を。今、ここで、確かに観ました。ありがとうございました。

・ラストの顔を真っ赤にして静かに泣いている2号でどうしても泣いてしまう。最初に始めた人であり、最後に終わらねばならなかった人。

・オリジナルキャストの皆様がこれだけ揃っての上演、こういう形で初めて観ることになるとは思ってもみませんでした。吉田さん、妻鹿さん、渡部さんのはまり具合もすばらしかったです。

・あくまでリーディング形式でしたが、時々、元の設定を飛び越え本当にオンラインで話し合っているように錯覚する瞬間もあり不思議な心持ちでした。単に「作品が生配信に合う」だけでなく、オンライン上演への問いも自然と含んだ、意義ある作品選択だったように思います。

・観ている間の不思議な感覚、やはり作品自体が密室の会話劇で、zoomでの会議だとしても違和感ない部分とまったくそうでない部分が混在しているから生まれたものなんだろうな。これが場面転換や人物同士の身体的なインタラクションが頻繁に含まれるものだったら、印象はまるで違っていたはずで。

 

・どんな名作であろうと今放たれてそこにただ一人でも新たな観客がいるならば好き補正ノスタルジー補正を超えた威力がなきゃならんわけで、そういう意味で今日の『12人〜』オンラインリーディングは、初見の人にはどう届いたのだろう。

「Love Never Dies」(2011)

YoutubeAndrew Lloyd Webberチャンネルにて48時間限定配信

オーストラリア・メルボルン Regent Theatre公演の収録映像

 

・Love Never Dies、2時間くらいなんだ。きちんと見られないかもなんだけど、配信終了が迫っているので音楽を聴くつもりで再生してみる。

・まだ少しなんだけど用事で休憩。こういうとき配信ありがたし。
ロイド=ウェバー印の荘厳な音楽、ダークで華やかな舞台美術、まだ冒頭なのにただよう圧倒的な二次創作感(執筆者はファントム推し)が一度に押し寄せてきて情報が多い。

・とはいえ二次創作感については、あれだけ有名な作品に時を経て続編を作ったら何であれ二次創作感は出ると思うので、そのこと自体になにか言うのもあれですな。

 

・Love Never Dies、一幕目終了。
ファントムの予感と興奮に重なるようにエレキギターが鳴り響く”The Beauty Underneath”がすごくいい。金銀に彩られた闇、結晶に閉じ込められたファンタズマの人々が蠢く美術も。
そして己はクリスティーヌに関する意見がロイドウェバー氏と合わない。そんな…昼ドラ…。

 ・なつかしい再会が決して連帯を意味しない”Dear Old Friend”も構成が好きだったな。
グスタフ(子役)にとても美しいナンバーが多く用意されているなと思ったら設定を知りさまざまな意味で納得する。

・ところで、自分が思うままに支配できる「領域」を作り、そこに集まる人々を翻弄するファントムのやり方が前作からしっかり踏襲されているあたり、好きなキャラクターを立たせるための設定は抜かりなく練っておくファンフィクションの気配を感ずる。

 

・Love Never Dies、鑑賞完了。
ファントムがあの地下室で独り眠りこんで見た甘美な悪夢、といった印象。極彩色の猥雑さと、あのオペラ座を思い出させる荘厳な美とが入り混じった空間で起こる10年越しの愛憎劇。音楽はやはり多彩で美しい。全体通しても"The Beauty Underneath"が一番好きでした。

・ひとつ直球で腹立ちポイントがあるとすれば、グスタフをテイのいい「きみの/僕の分身」として描くんじゃありません!!!!という点。ネタバレ避けて書こうとしたけど避けられてないなこれ。ファントムも脚本もどうかグスタフを舞台装置でなく人格として扱ってくだされ。

・己、オペラ座の時点から、芸術に焦がれ奉ずる心と男女の性愛とが渾然一体となっているあの感じがうまく飲み込めていなかったんだなと再認識。彼の求めた「愛」とは違う何かで、彼は救われることはできなかったんだろうかと思ってしまう。

オペラ座ではほとんど描写のなかったメグ。今回は大きな役割があって、これがもう非常に好き嫌いが分かれるやつだと思うんですが、自分は正直ちょっと…好きでした…。選ばれなかった人。いや、惨いし哀れだし終わりは投げっぱなしだしで散々なんですが、こう。

 ・「えっ…ええ…?」という展開であってもなんだか納得させられそうになるロイド=ウェバーの音楽、強い。私の考えた私が一番テンションの上がるファントムの形を見ろ、と耳にオーケストラを流し込みつつ言われる感じがしました。

 ・全体を通して面白い!またはつまらん!となる作品よりも、「好きなところはあるんだけど…うーん…」的なポジションで心に収まった作品の方が見た直後からあれこれ饒舌に書いてしまう傾向。頭の整理をしたいんだろうな…。

・と、わかった風にお喋りしつつも音楽に集中したくて字幕も出さずに見てしまったのでニュアンスが全然把握できておらず。気になったところだけでも歌詞をちゃんと読もうと思う。

新国立劇場「トゥーランドット【新制作】」(2019)

新国立劇場の配信企画「巣ごもりシアター」サイトにて期間限定配信

 

新国立劇場、巣ごもりシアター『トゥーランドット』駆け込みも駆け込みで視聴完了。オペラ初心者でなにも知らない、でも評判いいし見てみようかな…でまさかこう泣いてしまうとは思わなかった…。三幕。三幕目。今あらすじ調べて仰天しました、ほんのいくつかの動きで物語の意味はこんなにも変わる。

・王子の求めたものはほんとうは何だったのか、リューの叫びが示した愛は誰に届いたのか、トゥーランドットの怒りと誇りはどこへ向かったのか。踏みにじられた魂。
終幕近く、リューに寄り添う王女の姿。これは恋の物語でなく、男女の愛の物語でなく。
見てよかった。アレックス・オリエ演出。

・我のワヤワヤな言語を放り出して人様の緻密な評や感想を提示しつつ友人の刺さりそうな向きに勧めまくりたいけどもう配信終わるじゃん…ほんと見るのギリギリすぎた…。

 ・本当に何も知らなかったので、かの「誰も寝てはならぬ」ってこれか!こういう流れで出てくる曲なのか!と初めて知ったのですが物語上の状況と重苦しい演出が相まって有名な曲を聞いたぞ感はどこかにすっ飛んで行きました。

 ・古典の現代的演出というもの、珍しくないけれどいまいちピンと来ないことも多々あった。
新国立のプロダクションは、台本をそのままに、ビジュアルといくつかの動きと、何より観客の「今の感性」への強い信頼でもって別の読み方を提示していて、効果も意義もとても強い。