水平線ログ

主にTwitterでの観劇感想ログ置き場です。ほぼ箇条書き。 ただいま抜けていた2016-2020のログを少しずつ転記中。

Théâtre des Annales「従軍中のウィトゲンシュタインが(略)」

2016.3.5.

14:00

SPACE 雑遊

 

正式タイトル:

『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行 ──"およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない" という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』

 

・何度も、何度でも上演されてほしい、または体験されてほしい脚本というのはいくつかあって、『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』は確かにそのひとつだと思う。いつかまたキャストが変わっても、あるいは書き手である演出家さえ変わっても、この作品はごく小さな空間で、上演を重ね続けてほしい。

・タイトルを示す長大なフレーズもまた言葉であって、『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』は、なにかを「示す」道具としての言葉の持つ無限にも似た力と悦びと、その果ての沈黙を語る。と同時にこれは、(まさしくこの作品が「上演」されているという事実をもって)演劇の力を切々と語ってもいる。

・戦場の緊張感が終始空間を支配する中、不意に観客が巻き込まれる演出。シンプルで、多分オーソドックスで、それゆえに演劇である意義が込められている。正直、怖くて怖くてたまらなくて、アゴラに続いて二度目になるはずの今日も結局半泣きでした。でも必要。

・演出、それと俳優陣の確かさは、緩急の良さひとつにもあらわれている。クスクス、爆笑、次の瞬間に真顔になり、また数秒後に笑い…てな流れがしばしばで、100人入るか入らないかの空間でこの精妙な空気制御にあたる心地よさ。スタイナー隊長たまりません。

・にしても例のベルナルドのリアクション、やや控えめなものをよくコミケ等で見かけるし控えめでない版も分かるしあるあるに満ちていて、もう「うん分かるー分かるめっちゃ分かるやばい分かる」とマックの女子高生(※脳内)の同意がとどまるところを知らない。自分で書いておいてアレだけれどなんだろうマックの女子高生(脳内)とは…もはや概念…。

 

・ツイートし忘れ。去年観たときも思った、不思議と色濃い翻訳劇の香り。もし作家名を伏せられていたら疑いもなく海外作品だと思ったかもしれない。言葉の選び方なのかな。感覚的にしか言えなくてもどかしい。決して違和感でなく、むしろ普遍性を呼んでいた。

・日本語で書かれていつつ、言葉に翻訳劇の雰囲気があるもの、どうも他にも聞き覚えが…と思ったら『国民の映画』だった。そういう文体だと、あたかも作品がいま、日本でだけ上演されているものではないような錯覚を覚えたり。